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コルトレーンの生涯 【サックスの歴史part.5】

本日はサックス奏者の中でも特に重要なジョン・コルトレーンについてご紹介していきます。

私自身、コルトレーンのレコードを今まで多少は聞いてきたのですが、時系列に沿ってあらためて聞いていくと、コルトレーンの演奏スタイルの変化を感じることができ、大変興味深いものでした。



コルトレーンの演奏した楽器

コルトレーンは主にテナーサックスを演奏しましたが、活動最初期はアルトサックス、1960年代はソプラノサックス。最晩年にはフルートの演奏を残しています。

 

前期(1958年まで)

無名の時代

1926年アメリカのノースカロライナ州に生まれ、13歳でクラリネットを始めたコルトレーンは後にアルトサックスに転向し1946年よりプロとして活動開始しました。

1949年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その後テナー・サックスに転向します。

その後ほとんど無名のままいくつかのバンドを転々としました。
レコーディングもほぼしておらず、この時期の録音はわずかしか残っておりません。

マイルス・デイヴィスとの出会い

1955年にマイルス・デイヴィスのグループに入ります。

しかし、こうして名前が知られるようになりますが、この頃のコルトレーンの演奏は決して評判の良いものではありませんでした。

この頃のマイルスバンドの代表的作品が「'Round Midnight」です。

マイルスバンドを一時退団、初リーダーアルバムのレコーディング

1957年に一旦マイルス・バンドを退団、
その後はセロニアス・モンクのバンドに加入します。
同年3月にはマイルスバンド時代の同僚であったレッド・ガーランドの紹介でプレスティッジ・レコードと契約。

5月には、初リーダーアルバム『コルトレーン』の吹き込みを行っています。

このアルバムの中でも特に有名な「コートにすみれを」

 

神の啓示を得る

初リーダーアルバム『コルトレーン』をレコーディング後の同年1957年の7月にニューヨークのライブ・ハウス「ファイブ・スポット」にモンク・バンドの一員として出演。

コルトレーンはこの月に「神の啓示」を得たと語っているそうです。

この「神の啓示」を得たことにより、本人の内面に大きな精神的変化が訪れたものと考えられています。

そして同年9月にはブルーノート・レコードにて初期の代表作「ブルー・トレイン」をレコーディングしています。

 

曲が違うので単純な比較は出来ませんが、前述の初リーダー作品とは明らかに音色が違うような気がします。

ふたたびマイルス・バンドへ

1958年、モンクの元を離れ、再びマイルス・バンドに加入します。

マイルスはこの時期、コルトレーンをソニー・ロリンズと並ぶ2大テナー奏者として高く評価しました。

またこの時期のコルトレーンの「音を敷き詰めたような演奏スタイル」を「シーツ・オブ・サウンド [Sheets of Sound]」と音楽評論家は表現しました。

 

中期(1959年から1961年)

カインド・オブ・ブルー

マイルス・デイヴィスのバンドでの代表作が1959年に発表された『カインド・オブ・ブルー』です。

この作品はモダン・ジャズ屈指の傑作とされ、モードジャズを代表する作品の一つです。
このマイルスとの共演をきっかけにコルトレーン自身もモード・ジャズを発展させ世に広めていきました。

そして、同時期にコルトレーン自身はアトランティック・レコードに移籍し「ジャイアント・ステップス」というアルバムをレコ―ディングしました。

このCDのタイトルチューンの「ジャイアント・ステップス」は俗に言う「コルトレーンチェンジ」と呼ばれるもので、長3度の珍しい転調を16小節中に10回行うという大変な複雑なコード進行です。

マイルス・バンドを再び脱退 大規模なレコ―ディング

1960年春にマイルス・バンドを再び脱退します。
そしてマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズらと自身のレギュラー・バンドを結成してツアーに出ています。

10月には自信のレギュラー・バンドで大規模なレコーディングを敢行しました。

このときのセッションで

  • マイ・フェイヴァリット・シングス
  • プレイズ・ザ・ブルース
  • コルトレーンズ・サウンド


などのアルバムが生まれています。

もしかしたらコルトレーンといえばこの曲という方も多いかもしれません。

「3拍子+マイナー・メロディ+ソプラノ・サックス」という組み合わせが以後コルトレーンの定型パターンとして繰り返し用いられます。

またソプラノ・サックスは、コルトレーンが演奏したことをきっかけに楽器としての魅力が広く認知されます。

 

エリック・ドルフィーとの共演

1961年、アトランティックを離れ、インパルス!レコードに移籍します。

新進気鋭のリード奏者エリック・ドルフィーを演奏者兼、編曲者として自己のバンドに加え、大規模なブラス・セクションによるセッションを行います。

インパルス!での初のアルバムとして

  • 『アフリカ・ブラス』
  • 『アフリカ・ブラス・セッション vol. 2』

が生まれました。

このアルバムのオーケストレーションを担当したのはエリック・ドルフィーです。

エリック・ドルフィーはマルチ・リードプレイヤーとしても知られており、バスクラ・アルトサックス・フルートなどを演奏していました。
1964年に36歳の若さで亡くなっています。

遺品のバス・クラリネットとフルートはドルフィーの両親よりコルトレーンに渡されました。

後期(1962年から1964年)

エリック・ドルフィーが退団し、以後、ほぼ固定されたメンバーによるカルテットでバンド全体が一体となって演奏を繰り広げるグループ表現を確立します。

コンサートでは1曲の演奏時間が30分から1時間に及ぶことも多かったようです。

コルトレーンが激烈なライブ演奏を繰り広げる一方でスタジオレコーディングではインパルス!レコードが売り上げにも配慮し

  • デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン
  • バラード
  • ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン


などのアルバム制作にも取り組みました。

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

バラード

ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン

 

この3つのアルバムの曲はジャズの初心者にも薦められることが多く、ジャズのコンピレーションCDなどにも収録されることが多いので耳にしたことがある方も多いと思います。

 

1964年の年末には『至上の愛』をレコーディングします。

このアルバムはローリング・ストーン誌が選ぶ『オールタイム・ベストアルバム500』に於いて、ジャズ・アルバムとしてはマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』の12位に次ぐ47位にランクインしました。

 

1965年に入るとコルトレーンの音楽は「無調性音楽」のテイストが強くなっていきます。

 

フリー・ジャズ期、晩年(1965年から1967年)

1965年6月にコルトレーンは『アセンション』というアルバムを発表し、初めてフリージャズに取り組みました。

この音源を聞くと正直、何をやっているのか理解しがたいとは思います。

私もそうです。

「みんなで音出しでもしてるのかな?」と。

この「フリージャズ」という音楽は

  • クラシック音楽のような白人西洋音楽の理論や様式に従わないという理念
  • ビバップ、ハード・バップ、モード・ジャズなどが限界に達した

という認識により誕生したものです。


1960年代はアメリカでは公民権運動が高まっていましたので、そうした時代背景を考慮すると、この音楽を理解することができるかもしれません。

1966年7月には日本でもツアーを行っています。

そして1967年7月17日に40歳の若さで肝臓癌で亡くなっています。

 

コルトレーンは無名時代が長く、第一線で活躍した期間は10年ほどでしたが、革新的な音楽表現で今もなお、影響を与え続けています。

記事にすると非常に長くなりましたが、たったの10年間でこれだけの音楽的変化が起きたということは、コルトレーンは非常に濃密な生涯を送ったのだなと感じました。


前期コルトレーンの代表作。

コルトレーン曰く「神の啓示」を受けた直後の作品。



私オサナイ(長内)は名古屋の千種区の池下でサックスの教室をやっております。
初心者の方でも楽器の持ち方から丁寧に指導させていただいております。
またネットからの申し込みの場合は入会金が通常1万円のところを半額の5000円にさせていただいております。
1回のみの受講も可能ですのでぜひレッスンにお越しください。

レッスンの詳細についてはこちら

 



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